にぼしを食べようとして、自分と同じような顔を見て、命を感じる。
自分と同じような顔だから、特別に強く命を感じてしまう。
それは、自分も命ある存在なのだと、強く信じていることを示している。
そして、目の前のにぼしのように、自分もいずれ命をなくすということも。
飽きて疲れて、空虚感の中を漂っていると、自分が生きているという感覚もおぼろげになっていく。
そんな中、ふと見つめたにぼしに、そこにかつて宿っていただろう命を強烈に感じた。
なぜ突然、命なんて感じたのか。
根拠を求めて心の中を探っていくと、どうやら顔が似ているかららしい。
似た存在に命を感じて、自分の命を思い出す。
ああそうだった。自分も命ある存在として、生きているのだった。
そうしてまたにぼしを見つめる。
かつてあったはずの命は干からびていて、自分の指先にはただ物をつまんでいるのと同じ感触しかない。
また気づいた。命はこんな風に、きれいさっぱりなくなってしまうんだ。
にぼしが命をなくしたのなら、似ている自分だって命をなくすことができる。
生き続けることを思うと疲れてしまうけど、終わりがあるならそれまで踏ん張ってみてもいい。
もう少し何かを探して、それから干からびよう。