ゆにばーす

真ん中に球体があって、それより小さな球体が周りをぐるぐる回っている。

 

太陽系も原子も、イメージはだいたいこんなところだろう。

そういえば、銀河系も同じように中心に核があって、その周りを物体がぐるぐる回っているらしい。太陽系とか原子のようなシンプルなものではないが、おおかた同じイメージに思える。

このイメージは、人間が持つ感覚器官と、科学という捉え方・考え方によって生み出されたものなので、小さかろうが大きかろうが、同じ見方をすれば同じように見えると言ってよいだろう。

 

そんな感じでこの世界は、中央の核とその周りを回る物体というイメージが繰り返し現れるような気がする。原子よりさらに小さなスケールでも、観測範囲の宇宙よりさらに大きなスケールでも、一定のスケールごとに同じイメージが現れる。観測できないものは、想像もつかない途方もないものに思えてしまうが、意外と、自分たちの持っている知識の中で片付いてしまうものなのかもしれない。

例えば、私たちでいう太陽系のスケールで原子を持つ存在があったとしても、スケールが一個ずれただけで、当人たちはそのスケールが当たり前なのだから、私たちと同じような空間の中を生きるのだろう。

 

そう思うと、大きさという概念は世界を捉える上であまり重要ではないのかもしれない。もしかすると、大きさの極限と小ささの極限はつながっていて、スケールの差はその輪の中でぐるぐる回っているだけという可能性もある。

わたしがわたしの世界の見方に飽きつつある中で、大きさという概念をぶっ飛ばし、観測できていないスケールのものまで手中に収めるというのは、飽きまでの時間を長引かせる有効な方法に思える。ただ、観測できないものを観測できないままに思いを馳せるというのもロマンがあって、悩ましいところではあるのだが。