まあ、

なんかよろしくない結果だったとしても、自然と受け入れられそうだ。

なんだって今までがずっとそうだったのだから。

 

とはいえ、何か希望を持ってしまう自分もいる。

ちょっとばかり、プラスの変化が起こったっていいじゃないか。

褒められる行為を積み重ねてきたわけじゃないが、それくらいは許されるだろう、という。

 

すべては自分がかわいいから。

傷つけられたくない、この脆く儚い自我を。ようやく形作ることのできた自我を。

それとも、「やっぱり」と思いながら傷いた経験が自我を傷つけ、元々の自分をさらけ出してしまうのか。

 

無我、空、仏教観念が頭をめぐる。

結局何もなかったならば、最後にすがるのはここなのだろうか。