目からビームを出してやると、観衆は大きな歓声をあげた。
満足した僕は再びビームを出す。先ほどと同じ大きさの歓声が響く。
三度ビームを。同じ歓声。
途方もない時間をかけて延々と繰り返していたら、ついにビームが出なくなった。
目をいくら見開いても、拳をいくら握り締めても、足を踏ん張っても、目の奥にある僕特有の光線発生器官は何も言わなくなった。
だが、歓声は鳴り止まなかった。それまでと全く同じように、かつてビームが飛んでいった方向へと視線を合わせて追いかける。
観衆たちにはビームが見えているのだ。僕が出ないと思い込んでいるだけで、ちゃんとそこにはビームがあった。彼らの見ている一筋の光は、僕が目を見開くたびにかなたへと飛び去っていく。
観衆たちの期待はまだまだ続く。手応えのないビームを再び、途方もない時間をかけて繰り返し出していった。
目の筋肉が痙攣してきた。あまりにも頻繁に目を見開いたおかけで、僕の顔面は限界に達していた。
強く見開くことができない。目に入らない力を補うように拳と足に力を込めるが、ビームの本質は目を見開くこと。それができないのだから想像上のビームでさえ出している感覚がない。
それでも観衆たちの興奮はおさまらない。僕が拳に力を入れるたびに、あの動きを繰り返している。出した実感のないビームを、彼らは目で懸命に追っている。
その内に握り締めた拳が血塗れになり、踏ん張りすぎた足に激痛が走り、全身が動かなくなった。
それでも観衆たちは、僕がビームを出したいと思うタイミングに合わせて同じ動きを繰り返していた。
僕が意識を失ったとしても、彼らは何かに合わせてこの繰り返しを続けるのだろうか。
何を根拠に? 何を求めて?
おさまらない歓声を浴びながら、逃げ場のない僕はかろうじて動く口でこう呟いた。
「僕たちってどうすればいいですか?」