お土産を渡すのももらうのも苦手なのである。
これはもちろん、己の社会性のなさが致す不徳たるものでしかない。ちゃんとした大人ならそんなものに苦手意識など抱くはずもなかろう。ただちょっと荷物が増えたりするだけなのだから。
だがこうした感覚を言葉にしておくことで、自然と世の中で回っている事象を目の前にして違和感を感じた時、その感情への対処法を形成しやすくなる。あくまで自分の心にケリをつけるためであって、もらう場面があればもらうし、渡す場面があれば渡す。それが社会ってものなんだろ?
まずは渡す側から。
お土産を買うという意識が芽生える状況は、自分が普段所属しているコミュニティから逸脱した場所に存在している時。とりあえずお土産という言葉から連想されるのは、旅であったり出張であったり、自分(とごくわずかな人たち)だけが遠出をしている場面だろう。いや、出張であれば私は上司、同僚、部下、その他その出張に関わりの深い人たちを中心にお土産は買っていく。出張の金の出どころはそのコミュニティなのであるし、出張の間に今目の前にいない人たちを思い出す理由もあるからだ。お土産という概念に苦手意識を持つのは旅の時。旅は何のためにするのか。今いる場所からわずかな時間でも離れるためだ。特に明確な苦しさや辛さがそのコミュニティになくても、一つの場所にいたら息が詰まる。なんとか暮らしているその環境の中でこれからも生き続けるために、何もかもが自分と関係のない、そんな場所に行かざるを得ない時がある。なのに、なんで、そんな場所で置いてきた場所のことを一秒たりとも思い出さなければならないのだ。一人で、見知らぬ土地で、全てのしがらみから解き放たれているのに、なぜ君たちは頭の隅から顔を出してくるのだ。お土産なんて概念さえなければ、私の旅は徹頭徹尾旅になるはずなのに。
いざ買うとなっても価格帯や選択にかなり迷ってしまうというのも苦手な部分ではある。買ったことは何度もあるのよ。
次にもらう側。
これは真に自分側だけの問題で、お土産の定番といえば(特に会社などで大人数に買っていく場合などは)小分けにされたお菓子だろうが、こういう類のものが半分くらいは食べられない。アレルギーではなくただ単に苦手という理由なので無理すれば食えるが最悪吐いてしまう。せっかくのものを無碍にできないので誰かにこっそりあげたりしているが、もらう度にコソコソしないといけない面倒さや罪悪感を感じさせられてしまう。あげる側としては少しムカついてしまう物言いかもしれないがどうしようもない。親切は別の機会に分け合いましょう。
せっかく旅に出たのに、わざわざ私なんざ思い浮かべなくても、というような感情もある。
総じて渡すのが苦手なのでもらわなくていいです、自分の分だけスルーしてください、といった感覚。祝われるのが苦手だから人の誕生日も覚えられないです、という別に持っている感覚と近いのかもしれない。
なんか自分が嫌な人に思えてきた。今更どうにもできないが。