20240105

2023と一度打って、戻しました。増えていく数値の重みは年々薄まる一方ですな。ただそれは年齢を重ねたとか、人生経験だとかではなくて、単に年単位で物事を考えることをやめてしまったことだけが理由なのかもしれないが。

 

たまには自分のことを認めてやろうということで。

社会の平均からすれば意外と、自分に対して厳しく生きてきた側の人なのかな、なんて思えてきた。平均の上というだけで全然まだまだ自分に甘い部分ばかりではあるのだが、それでも、ランダムにサンプリングすればその中で自分に厳しい方である確率は有意に高いだろうと思えるくらいの、そんな位置づけ。ぼーっと酒飲みながら考えているので思考がまとまらないのはご愛嬌。酒飲みながら書いてるやつが自分を律することのできるやつなのかというツッコミも野暮だ。ここはチラシの裏でしかない。

自分で多少なりとも道を切り開くことができるくらいの恵まれ具合。何かあっても食いっぱぐれることはないだろうと思えるくらいの恵まれ具合。烏滸がましい言い方をすれば、それを享受するに値するくらいには、結構自分に厳しく生きてこられたのかもしれないな、なんて感じてしまう。

周りと比較するのは負の業でしかないのだが、自分を認め、なんとか生き延びるために許してほしい。意外と自分が自分に厳しく生きられるタイプなのかもしれない、なんて思えたのは周囲との比較きっかけでしかない。横槍は入れないけど、何か妥協の産物のようなものでやり過ごそうとしているのを見ていると、それは自分にはできないなとなる。少し考えればひらめくかもしれないし、誰かに聞けばうまいやり方を以前に試行錯誤していたかもしれないレベルのことで妥協したくない。自分が楽をするためではなく、綿密に考えた結果それがベストのやり方だと判断したのだと、ちゃんと説明できるようにはなっていたい。そんなポリシーは、意外と多くの人が持っているものではないらしい。

こうして段々と、あまり良くないやり方ではあるが自分を認める部分ができてきたのは最近のことだが、振り返れば生き方自体はあまり変わっていない。

モヤモヤしたまま次に進みたくない。そのままの理解は無理でも、せめて自分の言葉で噛み砕いて自分なりの解釈を持っておきたい。それは日頃の業務だったり、資格試験の勉強だったり、遡れば受験勉強だったりの時にも通じるスタンスだった。

ただ答えを覚えるのではなく、全て自分が分かったと納得できるまで向き合い続ける。そうすれば別に上級資格であろうと、下級資格の時に培った理解のみで対応可能なのだ。1つ下の資格に合格しているのにもう1段階上の資格に受からないのはおかしい。驕り高ぶっているような物言いだけど、ちゃんと勉強していればそんな状態になるはずだ。

もちろん、自分が理解したと判断する基準が甘いものであればそうはならないのだけど。

 

自分を認める、なんて思いながら、そのきっかけはただの愚痴だったと思う。

愚痴るくらいであれば、同じ方向を向けるように導くのがWin-Winの関係なのかもしれないが、でもちょっと、そこにリソースを割く余裕はないのだよ。

そんな余裕が生まれるまで、内心ではちょっとこんな風に驕り高ぶった物言いも交えながら、でもそれで膨らんでくるプライドを自分にとってポジティブな方向に作用させて生き延びていく分には文句はないだろう。