20230815

また過去の記憶で感傷的になってしまった。たった一つのキーワードで、あの頃の状況とか感情とかが芋づる式に引き摺り出されて、何年も前の自分に乗り移られてしまう。それが今も続けている自分の趣味のきっかけときたもんだから、より新鮮に懐かしく当時のことを思い出し続けてしまう。誰も興味のない当時の感覚なんかが頭の中を埋め尽くし、綺麗な時系列でその時の自分が追体験される。何度も思い出し、何度も蘇らせてきた自分がまた再び、しかも全く同じ再現度で現れる。言語化が苦手なはずなのに、そこまで繰り返し体験してきた過去の自分の気持ちや感覚は寸分の狂いもなく表現できる。何を、どこで、どのように享受し、それをどのように受け取り、どの部分に最も魅了されたのか。自分の感覚を言語化することに興味のなかった時代のはずなのに、何回聞かれたって同じ答えを正確に導くことができる。

老いたくない。いつも同じ話ばかりをする人にはなりたくない。過去のどこかに囚われるのではなく、いつだって新しい刺激を求めていたい。

仕事で、自分にとっては目新しいことに取り組んでいる。頭の使い所が異なり、強く疲労を感じるが、知識や経験が増えることに喜びは感じられている。いつかこの業務に慣れれば、また新しいことをしたい気持ちが芽生えているだろうと、今の自分は信じられる。

趣味で、興味の幅は広いと自負している。だからこそ前職とは全く異なる勉強必須な業種でもやっていけている。知らないことを知るのは喜びだし、裏に隠された人々の想いを知ることもまた喜びだ。信念を持って生み出されたものに心を動かされないほど私は枯れていない。そうした想いは、自分から感じようと向き合っていれば日常で何気なく出会うものにも溢れている。駅に行って、さまざまな表示がなぜその文字で書かれているのか、具に見れば全く違っていて、違いには全て理由と想いがある。自分が知らないだけで他にもたくさんそういう事例はあるはずだ。そして、私はそれらを感じたい。

だから、私はまだ老いていない。たとえ過去の記憶に囚われてしまう時間があったとしても。