20230817

人と人との関わりって本当に難しい。たとえそれが擬似的な関係性だったとしても。

 

ピエロになるのは得意で、それだけがほぼ唯一の自分の生き方だと思っていた。笑わせるでも笑われるでも、自分が意図的にずらしたことを言ったり起こしたりすることだけが自分の役割だと思っていた。そうしてもうずっとやり過ごしてきたから、新しい場所に移ったってそれなりにやっていける自信はある。笑いが起こらないよりは起こる方が場は和む。

 

でもそのせいで、相手の真剣な眼差しに正面からぶつかることができなくなってしまった。誠実な言葉に笑いは要らない。むしろその場を壊してしまう。なのに、いつだって笑いを求めてきた自分は、そんな時でさえ笑いをどこかに探してしまう。ぶつけられた言葉の中、僅かに開いた隙間を縫って、斜め上の言葉が口から出てしまう。そうして、相手に怪訝な顔を向けられて…。

 

私は学ぶことができる。自分のやり方を見つめて、反省することができる。

今日もいつもの生き方が現れそうになった時、思考回路を修正して、何とかそれっぽい言葉が言えたのではないか。字面だけでもストレートな言葉が出たのではないか。それがたとえチェンジアップのような球速でも、何とか。

もっと他の言い方があったのではないか。何よりその時の表情はどうだったか。ヘラヘラしていて、やっぱり今までの自分らしさが出てしまっていたのではないか。

振り返って今のこの場で反省したとしても、自我が芽生えてからずっと繰り返してきた自分の生き方はどこかに現れてしまう。その量を減らせたとしても、完全になくすまでは遠い道のりに思う。それしか生きる術がなかったから。

 

ただ、私の気持ちは真剣な気持ちそのものだ。

感情を共有できる素晴らしさを知れた。真剣に応援する尊さを知れた。

人として大事なことをたくさん教えてもらった感謝と、何より今楽しませてもらっていること。

足を引っ張りたくないし、身の丈知らずだけど何かしらの力になりたい。

だから、こちらにぶつけられた思いにはさらに強い思いをぶつけないといけないし、何もなくたって伝えるべき時は伝えなければならない。

言葉を考えることも、それを口に出すことも苦手だけど。

 

今日、自分が少しこれまでの生き方から離れられたのか、それを感じるのは相手だし、愛想に隠されていつまで経っても答えはわからないかも知れない。

でも、少しでも今日が正解なのだったら、また機会は訪れるはずだ。もっと真剣に伝えられるようにしておかなくては。