マックブック

感銘を受けた点

・時系列、空間的に重層的な構造は読む者を物語の世界へと引き込む力があった

・空間的な重層性は(物語における)現実と(作中の)漫画という軸においても展開し、二人で築き上げた漫画が、残された主人公にあり得たかもしれない世界線を想起させる構成は感動的であった

・二人の主人公だけに注目すれば、どちらのどの世界線での生き方も不正解とは言い切らない寛容さを感じられた(どの世界線においても、どちらも一度は満面の笑みを見せてくれる)

・表情や画面構成の巧みさ

 

問題を感じた点

・ネット上でも散見されるが、あの場面の犯人の描写に尽きる

→私がまず初めに感じたのは、あまりにも実在の事件を意識させすぎることである。舞台設定は現代日本であるが、読者はあくまで架空の人物たちの物語であるとみなしている中で、何の脈絡もなく実在の事件を想起させられると読者の中に築き上げてきた世界観が崩れてしまうのではないか。とりわけ社会的に多大な影響をもたらした事件であり(もちろん事件の大小には依らないが)、作者の意図しない文脈や情報を読者が勝手に付け加えてしまう。作品への感じ方にも影響するだろうし、作者として望んではいないはずだ。

→次の観点は、これを明確に感じられなかった自分を恥じたいのであるが、特定の疾患に対するスティグマを増長される恐れのある描写になっていることだ。犯人の登場にはとにかく文脈がなく、舞台装置としてしか機能していなかった。物語を構築する上でどうしても死が避けられなかったとしても、それは取材と称した旅行先での事故でも達成されたはずだ。それならば死亡した主人公がもう一人の主人公によって活動的になったために悲しい結末を迎えてしまったと繋がり、破り捨てた漫画のコマにも結びつけられる。とにかく、犯人に関する全てに必然性がなかった。またこのことは先程の事件に対する被害者感情などの点からも同様に言えるのかもしれない。

 

差別的な表現があるからといって即発禁にしろと言うわけではない。自由という根深い問題にも関わるし、こうした表現が人々が無意識に持っている差別感情に気づかせてくれる一つのきっかけとなるかもしれない。事実、私はこの作品に誘発された議論によって自分に足りない観点を得ることができた。ただ、様々な人々の存在が可視化されてきた現代において、さらに歴史的にも大きく取り組まれてきた課題に対して、作者、編集者ともに思慮が浅いと思わざるを得ない。それでは何も書けなくなるではないか、というのは思考停止だ。ただ、創作する、つまり世界を作る神様になる時に、細部に至るまで責任を持ってほしい。その人物がなぜ悲しい結末を迎えさせる必要があるのか、辛い経験をさせる必要があるのか、作者にしかわからない言葉であっても筋道立った説明を用意してほしい。現実世界を作った神様はそこまで考えなかったかもしれないけれど、創作者という素晴らしい世界を見せてくれる特別な存在にはそれができるはずだ。