あの時を呼び覚ませばきっとまだ生きていけるのかもなんて

理科室の記憶がうっすらある。黒い難燃性の素材でできた机が6個くらい並んでいただろうか。狭い校舎の狭い部屋の中で6個の机を置くのは大変なことで、隣の人との間隔は一人分もなかったように覚えている。床も暗い色だった気がする。アルコールランプとかガスバーナーとか、そんなものを使う可能性のある部屋ではどこの素材も燃えにくいものを使う外はなく、それが関係しているのかしていないのかその部屋の記憶は明るい景色ではなかった。ただそこにふっと息を吹きかけてくれるあの娘がいれば、そこにだって光は差す。一瞬目があっただけだった気がする。ああ、いつ見てもかわいいな。一瞬の内にいつもの感想を抱いた私の顔に、唐突に強い空気の流れが感じられた。あの娘が口を少しだけ尖らせて、私目掛けて息を吹きかけてきたのだった。私を見てくれたこと、その存在を意識して反応してくれたこと、ましてやその反応が口を尖らせて空気を送るなんて、一歩間違えれば…。空気が顔に到達したその一瞬のうちにさまざまな思いが私の胸を去来して、もう何が適切な反応なのかがわからなくて、でも嬉しくて、私は椅子から転げ落ちるなんて大袈裟な動きをかましてしまったのだった。

軽い空気の流れと対照的な大きな動きだった。そんな不釣り合いな反応がこの場で正解であったはずもなくて、そこからどういう応答があったのか記憶はない。彼女にとってみればなんでもない動きの一つで、たまたま顔が見えて、なんか吹きかけてみたくなって、そこに言語化できるような理由は少しもなかったのかもしれない。だから私の反応が予想外に大きかったことに応答を返すことができなかったのかもしれない。あるいは、そんな大袈裟な反応を返したことをそれとなく咎められたり、何事もなかったかのように無視したり、そんな辛い記憶を無意識に消去してしまったのかもしれない。ああ、私にとってその軽い空気の動きが、どれほどの喜びをもたらすものとも知らずに!

彼女は私にとって初恋であり、その後ずっと思い続けることとなる人でもある。世間的には気持ちの悪いその思いは、10年以上経過した今でさえ小さくない心の領域を占めている。それが私の恋愛面に影を落としたなんて、それは言い訳に過ぎないけれど、そう思いたくなるほどに、ことあるごとに思い出してしまう。だって、わざわざこちらを向いてくれて、あまつさえ唇をとんがらせて、空気の流れをこちらへと起こしてくれたんだよ? それはあの頃の自分にとっては見も知らぬ恋の始まりというか、フィクションの世界にしかない濃密な男女の絡みの始まりというか、そんなものに思えたのだった。だがこうしてつらつら書き連ねている内容も、その半分くらいは当時を思い出しながら付け加えている部分である。実際、そんな昔の記憶ははっきりと残っていないし、彼女が息を吹きかけてくれたその瞬間にどういう表情をしていたのか、本当に唇をとんがらせていたのかでさえ記憶にはない。息を吹いたのだからそういう口の形になっていたのだろうという推測でしかない。私の反応に対する彼女の応答への記憶が曖昧なのはなぜだろう。そんなに思っていた人ならば、まさに私に向けた一連の行動は具に観察しているはずではないのか。そもそも本当に息を吹きかけられたのだろうか。そもそも思い人ってどんな人だったのだろう。その出来事が起こった理科室ってどこの学校のどの階にある部屋だったのだろう。

最近は夢と現実の出来事の区別がつかなくなってきている。こういうことあったよね、なんて人に問いかけてみても、それが私の見た夢の中の話でしかなかったなんてこともあった。朧げな記憶は夢との区別がつかない。私の小さい頃の記憶なんて最近の記憶よりもうんと当てにならないはずだ。だが、その中にはさっきから延々書き連ねている楽しい記憶だって少ないながらも存在する。ならばそこに疑問を挟むことが何を生み出すのだろう。自分の記憶を信じる。これも立派な信仰であり、生きる手段だ。