2023-04-28

(擬似)連休ですわ。

 

チャットジーピーティーで遊んでたら昨日日付をまたいでしまい、1週間まるまる眠気との戦いでした。低気圧はまやかしだと思ってはいますが、雨が降った日は異様に身体が重かったりして、もしかして、と自分の信念を曲げてしまいそうです。

エーアイガーと言っている人はアホやと思ってしまいますが、それでも実際に触ると人工無能なんかじゃなくちゃんと会話をしているように感じさせて、技術の進歩(笑)を感じちゃいます。自分のコミュニケーションがむしろ見よう見まねで人間やらせてもろてますって感じなので、むしろチャットジーピーティーの返答に親近感を覚えるくらいです。なんか気持ちがわかるっていうか。もちろんチャット(略)に感情はないわけですけど、その返答を出力するまでの過程がわかるというか、日頃のコミュニケーションでは落ち着いて考えられない部分を、文字情報での会話だと感じることができました。そう、言ってはいけないことってのがあって、それを除く選択肢から最も蓋然性の高い返答を選び取るわけですよね。めっちゃわかる。それって結構場面を問わず成り立つ部分も多くて、丁寧語とかで表面的に修飾しとけば立場の差とかも気にせず対応可能なんですよね。というわけでコミュニケーションなんてのは音ゲーで、タイミングとボタンの位置があっていればオールオッケー。法則さえ見つけられれば、こんなんでも人の真似事ができちゃいました。

…なんて思わず、もっと心ってのを感じたいと願う、何が間違いだったのかいまだにわからないまま過ごしている31歳の夜なのでした。

 

ラムネ

メンヘララムネをひとつまみ。

 

どうしようもなさそうな時に手を出す。定期的に服用している方々より、ラムネの有無を身体の反応として感じやすい。頭にベールがかかったようになって、気分があまり落ち込まないように感じる。そして、セロトニン症候群になって寒気や吐き気に苦しむことになる…

あまり酒で流し込まない方がいいらしいですね(今更)。

 

ちょっと元気なうちに日記でも書いておく。

テキストサイト時代、ブログ時代に、本当に見ず知らずの人たちの文章を読んで、共感したりヒントを得たり、単純に救われたり、そんなことがあった。View数も1日数十みたいな単位で有名じゃないものも多く、何にもならないかもしれない、その人のためだけに書かれた文章というのは、意外と他の誰かに影響を及ぼす。だって現実で出会う人たちって、厚みに違いはあれど、誰だってベールをまとって接しているじゃないですか。不特定多数の人に公開するということは、逆に誰も想像しないままに筆を進めることであって、インターネットで出会う文章の方が、赤裸々で、切羽詰まっていて、だからこそ感じるものが多いのだ。

不思議なもので、その感覚は過去の自分にだって感じられる。

連続した同一個体のはずなのにね。でも過去の自分が書いた文章は、今と同じところと違うところが入り混じっていて、他の人の文章を読むのとまた異なる感覚が得られる。確実に自分が書いたはずなのに、懐かしさの他に少しの驚きがあったりして、その時感じたそのままというのは何よりも尊い。壊れかけのメンタルを騙し騙し過ごしている状態になって、「今この時」のことしか考えられなくなったけれども、「今この時」を記録さえしておけば未来の自分(いるとすれば)が追体験することができる。いつかの自分が感じて、乗り越えた感情でしかないので、今の直接的なヒントになるなんてことはないけど、見つめ直すきっかけとなったり、あるいは他の人のブログのように読めさえする。億劫であったとしても、たとえ短くても、何かしらは残しておいた方がいい、そんなことを月に数度は感じている。

 

が、睡魔には勝てない。

ここから日記です。

昨日は久々に寝落ちをしてしまった。19時前くらい?に帰ってきて、軽く何かを食べて(メンタル壊れたので覚えていません)、気づけば24時手前?だったかな。体験も感じることも日によって少しずつ変わっていくはずなのに、昨日を振り返るとひたすら眠かったしか覚えていない。「4/20 一日中眠かった」はそれが年に1回とかの頻度であれば意味を成すのかもしれないが、週に5回それが続けばどうなのか。感情は押し殺した方が得をする環境だったと言い訳はあるが、それにしても日々、おそらく一瞬一瞬で感じていることを言語化できると良いなと、無い物ねだりをする毎日なのだった。

 

反省、あるいは

書き込むたび度反省した。誰の、どういう気持ちに対して申し訳無さを抱くのかはわからないが、よくないことだとは感じている。

ただし、わからないまま反省をしてもそれは反省の真似事でしかなく、振り出しに戻る。

反省をしたという記憶は蓄積されていく。何度も同じことを注意されてはいけないと、新社会人がまさに今言われていそうな文言を自分で自分に振りまく。

二度、三度、四度、、、

蓄積された注意の数がようやく閾値に達したらしい。反省を繰り返していたことに対して、ようやく本当の反省を抱きつつある。絶対にしない。今度こそ…

 

ただ数が増えただけだ。反省をするには、なぜそれが悪いことなのか自分の腑に落ちる必要がある。悪いことをしないと誓ったとして、悪いことがなにかわからないとすれば、似た振る舞いをしてしまう。もちろん相手は同じように感じるし、何度目かの蓄積はこれまでと同じく+1される。もちろん蓄積が増えれば増えるほど、その+1が取り返しの付かない結果を産む可能性は増えていく。

 

と書いていたが、なんか自意識過剰すぎて止めてしまった。わたしは何十人、何百人かのうちの代替可能な一人にしかすぎないし、そうであってほしい。その意味で、わたしの一言は相手にとって些末な一言でしかない可能性のほうが高い。何かコミュニケーションをミスしてしまったとして、失言ポイントが+1されるのではなく、そもそもそんなポイントなど存在しないのかもしれない。

ただそれは、何でも言っていいということを意味しない。マイナスの言葉は発言者の気持ち以上に耳に心に残ってしまう。わたしに対する失言ポイントが存在しなかったとしても、全体に対する負の感情は蓄積されてしまうだろう。続けてくれた強さに甘えるのではなく、基本的な、相手に対する敬意を忘れず、立ち振る舞わなければならない。

それはもちろん相手の足を引っ張らないためでもあるし、何より、誠実さをもって、自分のことを好きになれる小さな一歩ともなるからだ。

 

そして昨日、同じことが思い浮かんだときに、口に出す前に自分の中でストップをかけることができた。

これまで様々な感情の言語化をサボってきたし、今回もわからないまま書いていたが、書いたという行為のおかげで踏みとどまることができた。書けそうだと感じる前、もやもやした段階からでも書こうとすることで、次の一歩へ結びつけることができるのだと、遅ればせながら気づいた。

 

プリキュア楽曲レビュー

※書いたのが2019年頃?なのでご了承を。書いた記憶は失われている…

 

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プリキュア楽曲のススメ

2004年「ふたりはプリキュア」放映開始以来、メイン層の幼女たちのみならずその親たち、さらには大きなお友達も魅了し続け、国民的アニメの一つとして数えられるにまで至ったプリキュアシリーズ。既成概念に囚われず常に新しい挑戦を続けるキャラクターやストーリー構成が高く評価されているが、主題歌をはじめとする楽曲に魅了されるファンも多い。

幼女たちが楽しめるものというベースは変わらないが、ストーリーと同様に楽曲もまた変化を続けている。今回はそんなバラエティ豊かなプリキュア楽曲の中から、筆者が特にオススメするものを部門ごとに分けてご紹介しよう。ただし、筆者はフレ~プリアラまでしか全話視聴できていないので、その間の作品に傾注してしまうことをご容赦願いたい。

なお、部門内での表示順は放映順であり、作品タイトル横の数字は放映が開始した年を表している。

 

オープニング部門

 

プリキュア5、フル・スロットル GO GO!

作品:Yes!プリキュア5GoGo!(2008)

作詞:只野菜摘、作曲:間瀬公司、編曲:家原正樹

歌:工藤真由 with ぷりきゅあ5

初めてカラフルなプリキュアたちが登場し、今に至るプリキュアの歴史を形作ったと言っても過言ではないプリキュア5シリーズ。その2作目、Yes!プリキュア5GoGo! のオープニングは非常にアップテンポで力強い楽曲に仕上がっており、2年目を迎えますますパワーアップする作品を象徴するかのようだ。メインボーカルは五條真由美と共にプリキュア歌姫の頂点とも評される工藤真由。安定した歌唱力で勢いよく歌い上げるその声に、元気をもらえること間違いなし。

 

ラ♪ラ♪ラ♪スイートプリキュア♪ 

作品:スイートプリキュア♪(2011)

作詞:六ツ見純代、作曲:marhy、編曲:久保田光太郎

歌:工藤真由(キュア・カルテット)

東日本大震災の時に放映されており、震災に沈む幼女たちに元気を授けてくれていたスイートプリキュア♪。そのオープニングはスイート(組曲)という音楽がモチーフの作品にふさわしいものとなっている。ギターソロから始まるイントロは唯一無二で、楽曲への印象を大いに高めている。その静かなイントロからサビにかけて徐々に盛り上がっていく構成も心地よく、長期シリーズのオープニングを担う楽曲でありながら飽きがこない。後期エンディングはこの曲の別バージョンで、震災の経験を踏まえ様々な絆にフィーチャーする歌詞に変わっている。

 

Happy Go Lucky! ドキドキ!プリキュア

作品:ドキドキ!プリキュア(2013)

作詞 - 藤林聖子、作曲 - 清岡千穂、編曲 - 池田大介

歌 - 黒沢ともよ

ここで筆者が最も好きなシリーズ、ドキドキ!プリキュアのオープニングが登場。本作品の主人公相田マナの生き様を投影したような真っ直ぐで迷いのない楽曲に仕上がっている。全体を通してアップテンポなメロディに詰め込まれた歌詞は、口ずさむだけでテンションが上がってくる。アイカツ!アイマス声優としてお馴染みの黒沢ともよの歌唱で、かわいげのある歌声が絵柄や曲調と抜群の相性。2番の歌詞に突然「マシュマロ」という言葉が出てくるが、映画を見ているとこの意味がわかり、そして涙ぐむ。

 

エンディング部門

 

H@ppy Together!!!

作品:フレッシュプリキュア!(2009)

作詞 - 六ツ見純代、作曲 - marhy、編曲 - 村田昭、marhy

歌 - 林桃子

ダンスをモチーフにしたフレッシュプリキュア!は、エンディングでの3Dアニメーションを初めて取り入れるなどプリキュア5と共に後々まで続く伝統を築き上げた金字塔とも言える作品。その後期エンディングであるこの曲は、落ち着いたメロディとハスキーな林桃子女史の声がどこか物悲しさを感じさせ、タフな展開の続くフレプリ後半を象徴するかのよう。映像表現にもこだわっており、イントロではまさかのロボットダンスが披露される。また、サビ中に一瞬アップになるキュアパインのかわいさは必見。

 

プリキュア・メモリ

作品:ハピネスチャージプリキュア!(2014)

作詞 - 只野菜摘、作曲 - 小杉保夫、編曲 - Dr.Usui

歌 - 吉田仁美

プリキュアエンディングを語る上でこの楽曲は外せないだろう。10周年記念作品であるハピネスチャージプリキュア!の前期エンディング、プリキュア・メモリだ。イントロなしにいきなりサビから始まる勢いのある構成、吉田仁美のかわいさと芯の強さを感じる歌声、表情も動きも豊かなエンディング映像。曲単体としての完成度も申し分ないが、さらにこの曲には10周年記念としてのサプライズが隠されている。2番の歌詞に、ハピチャまでの全ての作品タイトルが含まれているのだ。長年プリキュアを見続けてきてよかった、そんな風に思わせてくれる記念楽曲となっている。春の映画6作目ではNewStage3 Versionとしてそれまでのピンクチーム総出で歌い上げるものとなっており、さらなる感動が。

 

夢は未来への道

作品:Go!プリンセスプリキュア(2015)

作詞 - マイクスギヤマ、作曲・編曲 - 石塚玲依

歌唱 - 北川理恵

努力と友情でプリンセスへの道を切り拓く。丁寧な話作りで熱心なファンも多くいるプリンセスプリキュア。その後期エンディングはまさに彼女たちの生き様を表した楽曲となっている。ミュージカル女優の北川理恵が歌い上げる楽曲は、プリンセスの名を背負う作品にふさわしく格調高いメロディとなっており、放映後も続いていく彼女たちの人生を思わせてくれる。また歌詞が4人のプリキュアそれぞれに合わせて4パターンあり、エンディングではその内どれかが放映されていた。

 

劇中歌部門(映画含む)

 

HEART GOES ON

作品:ハートキャッチプリキュア!(2010)

作詞 - 青木久美子、作曲 - 高取ヒデアキ、編曲 - 籠島裕昌

歌 - 工藤真由、池田彩

プリキュア劇中歌と言われてこの曲を挙げない者はいないだろう。プリキュア最高傑作との呼び声も高いハートキャッチプリキュアより、HEART GOES ONだ。高取ヒデアキ作曲によるこの曲は、悩みに打ち勝って前に進んでいこうとする登場人物たちの思いを代弁するかのような力強い楽曲となっている。初出の36話ではこの曲をバックにして、悩みに打ち勝ち学園祭を楽しむファッション部のメンバーたちが映され、サブキャラクターたちも深く掘り下げてきたこの作品の集大成とも言える回となっている。

 

たからもの

作品:映画 ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!?未来につなぐ希望のドレス (2013)

作詞 - 六ツ見純代、作・編曲 - 高木洋

歌 - 相田マナ(生天目仁美)・菱川六花(寿美菜子)・四葉ありす(渕上舞

またまたドキプリから今度は劇場版の挿入歌。プリキュア楽曲では屈指のしっとりとした曲調。そこから想像されるように、映画はタイトルがまるで詐欺であるかのような展開で進んでいく。ネタバレになるので明言は避けるが、「たからもの」というタイトル、また歌唱が幼馴染の主人公3人によるものというところに貫かれたテーマを感じる。ちなみに主演の生天目仁美がドキプリ放映終了直後に公開したブログ記事のタイトルが「たからもの」であり、この内容も涙を誘う。

 

勇気が生まれる場所

作品:映画 ハピネスチャージプリキュア! 人形の国バレリーナ(2014)

作詞 - こだまさおり、作・編曲 - 高木洋

歌 - キュアラブリー中島愛)、キュアプリンセス潘めぐみ)、

  キュアハニー(北川里奈)、キュアフォーチュン(戸松遥

歴代屈指とも称されるハピチャ劇場版、人形の国バレリーナ。誰かを救いたい、だけど自分の不完全さがそうはさせてくれない。その苦しみを乗り越えた先に待ち受けるものとは。そんな映画のテーマがこの一曲に集約されており、まさに劇中歌とするにふさわしい楽曲となっている。ちなみに映画のゲストキャラクターを演じるのは堀江由衣。声優ファン的にも垂涎の作品だ。

 

番外編:百合アニメとしてのプリキュア

プリキュアはその特性上、女性同士の絡みが大変多く、その中には夫婦共称されるほど濃密な関係性を築き上げているキャラもある。1シリーズ50話かけて描き上げられる関係性は、百合ファンたちをも唸らせるほどだ。曲紹介の最後として、そんな百合要素をふんだんに含んだ楽曲を紹介してこの項を終えたいと思う。

 

希望はつづく

作品:スイートプリキュア♪(2011)

作詞:青木久美子、作曲・編曲:藤澤健至

歌:響&奏(CV:小清水亜美折笠富美子

幼馴染でありながらも、ある事件がきっかけで喧嘩ばかりする仲となってしまったスイプリの主人公2人。物語冒頭ではお互い素直になれずにすれ違ってばかりいたけれど、ある時は自分たちの力で、またある時は他の人の力も借りながら、じっくりじっくりと関係性を修復していった。そうしてお互いがお互いを信じ、言いたいことも素直に言える関係に。そんな2人のイチャラブが表現されているのがこの曲。素直に言い合える仲に戻ったといっても、素直に表明しすぎなのでは……。

 

夏の流星群

作品:ドキドキ!プリキュア(2013)

作詞:青木久美子、作曲:林ももこ、編曲:安保一平

歌:生天目仁美(相田マナ)&寿美菜子(菱川六花)

こちらは前者の響&奏とは対照的に、ずっと幼馴染で、ずっと親友であり続けた2人。お互いの癖とか、悩みがあることだってお見通し。向こうが新婚ならこっちは熟年夫婦。そんな2人のデュエットソングは、夜空とかお花とか、そうした眼に映るものを通してお互いの友情を確かめる、慎ましい楽曲となっている。前のストレートな歌詞とは大違いだ。とは言え本編ではお互い愛してるなんて言い合っちゃってたりするので、どっちもどっちだったりするのだが……。

見つけてくれてありがとう

正直感覚がわからなかったんですよ、その時は。1年と5日前の20時過ぎくらいかな。直接言われて、もうちょっとちゃんとした話をした方がよかったかな、なんてちょっとだけ反省して。

その後色々経験が増えたり振り返ったりする中で、少しずつその感覚がわかるような気がしてきた。大袈裟だし、自意識過剰みたいな感じだけど、確かに出会えたことって奇跡だし、その集大成がタイトルの言葉なのかもしれないって感じるようになった。

この出会いを振り返ると、そのタイミングしかないという瞬間で出会っているんですね。

・応援しようとしていたのにすぐに解散が発表されて、オタクとして消化不良を感じていた。せっかくオタクになれたのに、まだ誰かのオタクでいたいと、他の人を探していた。

・エンドレスおいでませができなくて消化不良で、めちゃくちゃ横移動したかった。会場が広くてスペースがあって、めちゃくちゃ暴れられた。

竜王中止代わりの対バンだった。フェスだったらミーハーにもっと有名なところばかり行って、見なかった可能性が高い。

・後で思い返すと、全曲中の好きな曲の割合が最も高いタイミングだった。

次の現場を渇望していたのってこの時期しかなくて、2ヶ月前でも、2ヶ月後でも、タイミングがずれていたらおそらく出会っていなかっただろう。

その後、応援しようと思うまでにも偶然が重なる。

・ちょうど無職で暇だったので毎日のように配信を見れたし、別に見ていた人の少し前の時間帯での配信が多く、見に行きやすかった。

・内容は覚えていないが、会いに行きたいとか面白いとか思わせてくれる配信だったんだろう。新メン加入後の配信で「その前からもっと定期来いよ」って冗談でキレてたのを思い出した。おいお前ら、みたいな口調いいですよね。

・応援していたところのライブ予定が空いていて、次の現場への都合がつきやすかった。

一度目から二度目へもハードルがあって、それを乗り越えさせてくれたのは配信だった。ライブはいつでも楽しませてくれるけど、配信は今はお休み中で、これもはじめましてが別のタイミングだったらこんなに継続して通ってはいないはずだ。

その後無事フォローもして、上げられた動画見たら他メンもかわいいやんけ!ってなって2人目、となるとさらに通うこととなってついでに全員へご挨拶。これからやね〜と思っていた矢先にお別れの発表。そこから一瞬たりとも逃したくないと全通して、タイトルの言葉を言われるという流れ。

どこかの何かが少しでもずれていたら全く出会えていなかったかもしれず、そう思えば本当に誰かと出会うのって偶然だし、その人が心の底から応援したくなる人だったっていうのは奇跡としか言いようがない。グループを知った対バンだって、もう一つ別の楽しかったグループにはじめましてをしていて、そちらが配信やらなんやらやっていれば通う現場は違っていた。

現場に通うようになって、気持ちが再燃して、楽しいと思えるグループは他にもたくさんあったけど、最初に出会えたグループほど特別に思えなかった。だからこそ、そのグループの特別な瞬間は他よりも優先するし、多少無理する時だってある。今生きていられるのもがんばりを間近で見続けて影響されたからという恩もある。

つらつら書いていたらいくらでも書けそうだ。人生のうちのたった1年ぽっちを占めているだけなのにな。

とにかく出会えたことはそのタイミングでないとあり得なかったことだし、奇跡だった。逆の立場で言えば、見つけてもらうことって本当に難しいことなんだろうなと、ただのオタクが烏滸がましいけど、奇跡の裏にあるものを想像する。一つ一つのライブがチャンスであり、またそれを永遠に失うきっかけともなり得るのであって、その瀬戸際でずっと戦い続けている人々への敬意は、タイトルの言葉の感覚を実感するにつれ増していくばかりだ。あの日見せてくれたステージが楽しく感じられなかったとしたら、それ以降一切の興味を失っていただろう。

ただしそんな感慨を毎回毎回感じているわけではない。目の前で繰り広げられるものが楽しければそれでいい。だから、こんな感慨に耽ることがあるとすれば、次は別れの時なのだろうと思う。そこで改めてこれまでのことを振り返って、そのタイミングでしか起こり得なかった奇跡を、もう一度追体験するのだ。

そして最後の時は、今から1年ちょっと前に感じた反省も踏まえて、こうお話ししたいと思う。

見つけさせてくれてありがとう、と。

2012 総括

逆張り総括とかやっちゃって、本当は普通に総括してる人に嫉妬してるんだろ?

とか言ってみて、さあ素直に振り返ってみましょうという気持ちになったからといって、振り返ることはできなかった。目の前だけ見て、その時の自分の機嫌を取ることだけに集中しなければ、心の奥底から勝手に湧いてくるアレに押し潰されそうになるから。

とは言え、応援している方には、ふと思い出した時に少しでも励みになるようにという思いで関わっているつもりだ。今と同じ状況はいつか終わってしまう。また別の道へと進まなければならない可能性が高い。社会の構成員たちはわかりやすい指標でしか判断できず、例えばそれは年齢だったりして、少し回り道をして来た人に対して厳しい視線が向けられることも多いだろう。その状況に、現状の自分だけで立ち向かおうとすると歯が立たない。どれだけどこかで頑張ってきたって、能力が高くたって、狭い世界には暗黙の了解がたくさんあって、それは経験することでしか学べないのだ。でも、過去のどこかで、輝いていた瞬間があれば、その思い出は乗り越えるための力を授けてくれるんじゃないだろうか。自分が信じて表現した結果を好きになってくれた、好きでい続けてくれた、見守ってくれた人がいる、という事実はずっと残り続けてくれて、状況が大きく変わっても、きっと、何かしらの力になるかもしれない。自分が経験者ではないから、本当にただの希望的観測でしかないけど、そうであればいいなと思うし、少しでもそう思えるように、たまに少しいいことを言ってみたいなんかして、程よい距離感で見守り続けられたらな、と思う。言葉にすること以前に自分の感情を把握することから苦手なので、大それたことはできないけれども、後ろだけは向かせないようにいたいと思う。

ここまで書いてきて小休止。立ち止まったらなんと今までのことを少しばかり思い出しながら考えていたことに気づいてしまった。素直に総括、できちゃいましたね。とはいえ自分の人生に関わる部分についてはどうでもよくて、思い出そうとするともやがかかってしまいますが。なんか無職して就職してみたいな感じでしたっけ?

で、再開。その後の人生にも記憶が残り続けてほしいとは言ったけど、思い出というのは別に自分のことを覚えていてほしいわけではなく、顔も忘れちゃったけどでも素敵な思い出があって、そのおかげで頑張れる、みたいな状況であればいい。むしろ、私個人は思い出して欲しくない。勝手に産まれさせられたものが自分の意志で人生を全うするのであれば、自分が生きた痕跡は全て消し去って、元々産まれなかったことにする、というのが一番美しいと思うから。と考えて、やはりアレから逃れられないことに気づく眠れない午前1時なのでした。

 

なぜ、わたしはおもしろいのか?

自意識過剰すぎるだろキモっ、としかめっ面をせずにまあ聞いてくれや。

理由は単純だ。自己肯定感がなかったから。

なかった、と書くのも違う気がする。別に自己肯定感が今あるわけではないから。ただ、心持ちを変え、人の目を気にしないようにしてから、それが必要なくなっただけのこと。今、別におもしろくある必要性は特にない。かつての自分が苦しんだ残渣が、おもしろいものを好きでいさせるし、自分がおもしろい思考回路を辿るのを好ましく感じさせている。

では過去を振り返ろう。自己肯定感がないのに、今よりうんと多くの人間と関わらなければならなかった。学校って逃げ場がないよね。部活に入らないという少数派の生き方を貫ける意志があればまた違ったのかもしれないけど。ただまあ、関わる人たちにはとても恵まれていて、幾分かは負の感情を和らげてくれた気がする。ありがとう。とは言えそれですぐに砕かれた自己肯定感が取り戻されるかと言えばそうではない。生きるのは難しいね。

で、人と関わると必然的に会話が発生する。会話は生きる中でとても難しいものの一つだ。相槌だけではほとんどいる意味がない。会話の中には議論じみたものもあって、わたしとしての言葉が明確に求められる時だってある。くだらないと一蹴できる人物でないことはこんなわたしが部活に入っていることから明らかだろう。おまけに人の目を気にしまくっていたから、誰にも嫌われたくないという思いも強かった。何かを言わなければいる意味がないし、でも何かを言えば嫌われるかもしれない。趣味もなく、何もしてこなかったわたしに有用な意見を言うことはできない。ではどうすればいいのか、というところで、おもしろくなければならない、と繋がってくる。

おもしろいことは強い。テレビにお笑い芸人が映らない日はない。何もないわたしだって何度も笑わせてもらって、束の間の安息を得たりした。笑いを取れることで確固たる地位を築くことができる。自分の居場所を見つける方法は、ここにしかないと思った。

という書き出しで本当に今お笑い芸人として奮闘しているのであれば美しい物語だが、大多数の人は主人公になれない。ただ日常の範囲で、たまにおもしろい人と思われる程度の人生を送っている。だが、そうした少しの感想がわたしに居場所を感じさせ、今の今まで死なずに生きてこれた一つの要因だとは思う。乾いた大地に一滴の水。現実世界でならばすぐ元の大地に戻るだろうが、精神世界だと意外と潤いは残り続けるものなのだ。

掛け合いを流用して、相槌にだって工夫を凝らすことができる。漫才の題材は、自分が言葉を発信する時の大きなヒントとなる。なぜおもしろいのかを考えながら見ていくと、会話に使えるさまざまな武器を獲得することができる。

読み返して、おもしろさとかけ離れた文字列がだらだらと続いていることに気づいた。説得力がまるでない。だが、それでいい。自分が自分のことを好きになれるか、が重要なのだ。

そうして生きていった先に、人の目を気にしない自分が待っていたとしても、そんな生き方に気づけるまでに命を永らえさせてくれたのはこうしたおもしろさへの思いだった。自分の会話というだけでなく、単純におもしろい漫才は何もかも忘れて楽しませてくれた。ありがとう。

まあ、漫才を題材に組み立て続けてしまったせいで、すべての会話に本来の意味を見出せなくなるという別の問題が浮かんでしまったのは別稿に譲るとしよう。