見つけてくれてありがとう

正直感覚がわからなかったんですよ、その時は。1年と5日前の20時過ぎくらいかな。直接言われて、もうちょっとちゃんとした話をした方がよかったかな、なんてちょっとだけ反省して。

その後色々経験が増えたり振り返ったりする中で、少しずつその感覚がわかるような気がしてきた。大袈裟だし、自意識過剰みたいな感じだけど、確かに出会えたことって奇跡だし、その集大成がタイトルの言葉なのかもしれないって感じるようになった。

この出会いを振り返ると、そのタイミングしかないという瞬間で出会っているんですね。

・応援しようとしていたのにすぐに解散が発表されて、オタクとして消化不良を感じていた。せっかくオタクになれたのに、まだ誰かのオタクでいたいと、他の人を探していた。

・エンドレスおいでませができなくて消化不良で、めちゃくちゃ横移動したかった。会場が広くてスペースがあって、めちゃくちゃ暴れられた。

竜王中止代わりの対バンだった。フェスだったらミーハーにもっと有名なところばかり行って、見なかった可能性が高い。

・後で思い返すと、全曲中の好きな曲の割合が最も高いタイミングだった。

次の現場を渇望していたのってこの時期しかなくて、2ヶ月前でも、2ヶ月後でも、タイミングがずれていたらおそらく出会っていなかっただろう。

その後、応援しようと思うまでにも偶然が重なる。

・ちょうど無職で暇だったので毎日のように配信を見れたし、別に見ていた人の少し前の時間帯での配信が多く、見に行きやすかった。

・内容は覚えていないが、会いに行きたいとか面白いとか思わせてくれる配信だったんだろう。新メン加入後の配信で「その前からもっと定期来いよ」って冗談でキレてたのを思い出した。おいお前ら、みたいな口調いいですよね。

・応援していたところのライブ予定が空いていて、次の現場への都合がつきやすかった。

一度目から二度目へもハードルがあって、それを乗り越えさせてくれたのは配信だった。ライブはいつでも楽しませてくれるけど、配信は今はお休み中で、これもはじめましてが別のタイミングだったらこんなに継続して通ってはいないはずだ。

その後無事フォローもして、上げられた動画見たら他メンもかわいいやんけ!ってなって2人目、となるとさらに通うこととなってついでに全員へご挨拶。これからやね〜と思っていた矢先にお別れの発表。そこから一瞬たりとも逃したくないと全通して、タイトルの言葉を言われるという流れ。

どこかの何かが少しでもずれていたら全く出会えていなかったかもしれず、そう思えば本当に誰かと出会うのって偶然だし、その人が心の底から応援したくなる人だったっていうのは奇跡としか言いようがない。グループを知った対バンだって、もう一つ別の楽しかったグループにはじめましてをしていて、そちらが配信やらなんやらやっていれば通う現場は違っていた。

現場に通うようになって、気持ちが再燃して、楽しいと思えるグループは他にもたくさんあったけど、最初に出会えたグループほど特別に思えなかった。だからこそ、そのグループの特別な瞬間は他よりも優先するし、多少無理する時だってある。今生きていられるのもがんばりを間近で見続けて影響されたからという恩もある。

つらつら書いていたらいくらでも書けそうだ。人生のうちのたった1年ぽっちを占めているだけなのにな。

とにかく出会えたことはそのタイミングでないとあり得なかったことだし、奇跡だった。逆の立場で言えば、見つけてもらうことって本当に難しいことなんだろうなと、ただのオタクが烏滸がましいけど、奇跡の裏にあるものを想像する。一つ一つのライブがチャンスであり、またそれを永遠に失うきっかけともなり得るのであって、その瀬戸際でずっと戦い続けている人々への敬意は、タイトルの言葉の感覚を実感するにつれ増していくばかりだ。あの日見せてくれたステージが楽しく感じられなかったとしたら、それ以降一切の興味を失っていただろう。

ただしそんな感慨を毎回毎回感じているわけではない。目の前で繰り広げられるものが楽しければそれでいい。だから、こんな感慨に耽ることがあるとすれば、次は別れの時なのだろうと思う。そこで改めてこれまでのことを振り返って、そのタイミングでしか起こり得なかった奇跡を、もう一度追体験するのだ。

そして最後の時は、今から1年ちょっと前に感じた反省も踏まえて、こうお話ししたいと思う。

見つけさせてくれてありがとう、と。