小言

生物学の哲学に関する本をキレながら読み、修士(生物学)程度の知識で分野としての意味のなさをあげつらおうという企画。

 

題材

「進化論はなぜ哲学の問題になるのか 生物学の哲学の現在」

 

第1章 自然選択の単位の問題

読書前の感想

自然選択がどの範囲で作用するかは生物学の諸分野の研究結果からのみその時点での結論が出るもので、実際の生き物を見ないままにうだうだ考えていても何も有意義な議論は出ないのでは(これは私の狭い認識の中で、すべての科学哲学的な議論に思うことである)。

読後

・「selection for X」やら「selection of X」やら、トークンやらタイプやら、好き勝手言葉を(あいまいに)定義しても議論にはなりませんよ(それら言葉の違いは我々の認識を転換させる程の影響を及ぼさないので)

・何箇所か「集団として捉えていたものはそのまま個体レベルで議論することも可能なのだ」と書いてあったが、この言葉が出た後に自然選択の作用範囲を続けて議論できる感覚がわからない。そのまま議論をスライドすることができるのは個体→集団でも同じであり、その研究として見たい範囲で議論をすればいいだけで、実際にどの範囲で作用しているかは議論する必要のないことなのでは。

・私は、わずかに異なる個体間の差異が子孫の数に多寡を生じさせ、集団の中の遺伝子頻度などとして表出したものが自然選択であり、遺伝子はそれ単体で生存するものではなく、個体間の差異をより詳細に分析するために登場させるものだと考えている。

・科学はあくまで自然のモデルを構築するものだと考えている点で哲学的にナントカ主義の一つに分類されるのであろうが、より深い自然の理解という目標に、主義間での違いはおそらくない。それぞれの考えから杓子定規に分類をして何になるのだろうか。その時代でのナントカ主義者の適応度を比較したいというのなら好きにやって貰えばいいですが…

 

第2章 生物学的階層における因果決定性と進化

読書前の感想

さっきの章と何が違うの?

読後

・やはり、問題意識がわからない。どの階層に着目するかはその研究が何を目指しているのかを示すだけだし、階層間のつながりが上向きだったり下向きだったりは見ている現象によって異なるだけだろう。

・種選択ってそんな対立候補に挙げられるほど生き残っていましたっけ。

・2010年の本というのを差し引いても引用が古く感じた。複雑な生き物たちからは日々新しい現象が発見され、それに対して既存の考え方もブラッシュアップされていく。それまでの枠組みで生き物を見ている視点をいくら俯瞰したところで、それ以降のことにヒントは与えられないのでは。自然は厳然としてそこにあるのに、不十分な人間の見方や考え方をクラス分けして戦わせて何が生まれるのだろう。

 

第3章 生物学における目的と機能

読書前の感想

特に進化において、不用意に「目的」という言葉を持ち込むと炎上しそうですが…

読後

・「機械論的な枠組みと整合的な形で、目的論的言明に意義を認めることができるだろうか」を問うべき問題だと認識しているのは哲学者だけなのではないか。我々の印象とは異なるやり方で現象が説明されているとしても、それは理論が新しい視点を我々に与えてくれる有意義さを強調するのみだと感じる。

・機能や目的を問わざるを得ない生物学の特殊性を、進化という通時的現象が起源への眼差しを強制させる点に求めていたのは改めて言われれば納得感があった。自然科学の一分野として機械論的な枠組みに終始したいが、そうはできないもどかしさみたいなのはなんとなく感じていたので、そこは新しい考え方へのヒントとなりうるかもしれない。

・様々な思考法単体を見てそのメリットとデメリットを論じても堂々巡りにしかならないのでは。重要なのは生物進化を理解するという大目標を見失わず、様々な思考法のバランスを取る(バランスは個人の中でも分野内の人々の間でもよい)ことではないか。全く異なる分野の人から何かを言われなくても、ある思考法に固執することの欠点は感じられると思う。

 

第4章 進化論における確率概念

読書前の感想

生き物も数学も知らなそうなのに何が言えるのだろう

読後

・別に哲学者以外は世界が決定論的かそうでないかにそれほど興味はないのでは。どちらの解釈を取ろうと、科学者が世界の理解として提示できるモデルにほとんど差異はないと思うが。

・私の理解では、遺伝子に偶然的な変異が生じ、それにより稀に表現型に差異が生じ、それがその環境下での適応度の差を生み、その繰り返しが積もり積もって進化が生じると考えている。きっかけは偶然的な遺伝的浮動で、その方向性を定めるのが自然選択だと認識しているが、それらを並列に扱うことは進化学の理解として主流なのか、疑問を抱いてしまう。あくまで化学的な分子である各々の遺伝子に意思を持つ機構があると考えるより、まずは確率的な浮動が変異を駆動していると考える方が合理的ではないだろうか。

・問うべきは「進化論が我々の認識的制約を示しているか」ではなく、「なぜ異なる塩基配列が同じアミノ酸を転写する仕組みが維持されているのか」ではないですかね。それは生物学や化学や物理学から理論が生み出されるものだと思いますが。

・認識的な制約のある中で構築された理論でも、それが何も表現していないことにはならない、って、科学ってそういうものじゃないんですか。わりかし答えが出ている(し、それは当たり前の結論でしかない)ことを読まされて我々はどうすればいいのでしょうか。自然科学で博士号を目指すとき、これまでの科学が築き上げてきた認識のほんの爪先程度でも広げることができれば良いなんて例えられることがありますが、私が全知全能であることを前提とした理論は宗教と区別がつかないと思いますよ。

 

第5章 理論間還元と機能主義

読書前の感想

また難しい言葉を…

読後

・自然種なんてそもそも存在しないし考える必要ないと思います。人間が観察や観測したようにしか見えないし解釈できないので。

・あなたたちがあなたたちの思考の枠組みに閉じこもって今あるものをこねくり回している間に科学は勝手に統合を目指したり発展したりしていますよ。

 

第6章 種問題

読書前の感想

確かに種の定義が曖昧なのは理論構築に悪影響を及ぼす気がします

読後

・種と系統を混同してなくない? あと系統樹の枝を別個の集団として考えるのに違和感がある。枝の末端と同時的に存在していないはずですが。

・種の定義はすべての分類群を包括しようとすると定義不可能に思えてしまうが、それでも研究の中でそれぞれの種は区別できているように思える。包括できない定義を妥協点と呼ぶのなら、それは哲学者に横から言われなくても実際に自然を観察し続けている生物学者だけで納得のいく概念は構築できる。

 

第7章 系譜学的思考の(以下略)

読書前の感想

この人の本読んだことあるな

読後

・概念の構築方法が認知や心理を考えないと解決できない問題だと言われればすべての自然科学はそうだろう。その当たり前を指摘して、一方で具体的な解決策を提示しないことはどのようなモチベーションで可能な行為なのだろうか。

・分類をしなければ系統を考えられずその逆も然りで、表裏一体のものではなかろうか。思考法や歴史が違うかもしれないが、それは研究者それぞれがそれぞれの思考法で研究を進めていることと変わりなく、指摘することに意味はないように思える。

 

第8章 人間行動の進化的研究

読書前の感想

人間興味なし

読後

・あっ、進化心理学だ!

・仮説はその証拠を丹念な研究から検証していくもので、仮説を前提として論を組み立てるのは何も生み出さないと思うのですが。

・適応の結果だとは思えない形質も現にさまざまな生物群で見られますし、なんだかすごく視野の狭いお話をなさっている気がしてしまいます。

 

第9章 進化倫理学の課題と方法

読書前の感想

分野の名前が…

読後

・本性がはっきりしないまま研究を進めないといけないのが深刻な問題だとされているが、深刻どころか本性がはっきりしないままなら何もできないのでは。加えて、感情については本性がはっきりしていると書かれているが、私にはそうは思えないので明示してほしい。本性という言葉の定義も曖昧だ。

・心理も倫理も進化によって生み出されたものではないでしょうか。統一理論の提示を目指す章もあったはずですが、なぜここにきてそれほど区別をして論じなければならないのでしょうか。

・人間の意志とは無関係に変化していく自然に対して規範を論じることはそれこそ人間中心主義で狭量な印象を受ける。規範って統治者や社会の構成員が勝手に定める人工物ではないのですか(というとナントカ主義とかに分類されてしまうんでしょうね)。

・どこかの哲学者が生物学に大役を担わせてしまっているけど双方で語り合わないといけない問題ばかりであるらしい。勝手にしてください。

 

全体を通して

・哲学という内輪の中で全てが完結しているような印象を受けた。誰かが問題提起をして、別の誰かがその問題に対する別の問題提起をし、その繰り返しの無限ループ。提起された全てに対して答えが出ていない印象を受ける。引用文献も生物学ではお目にかかれないような古いものばかりだし。

・答えが出ない要因として個人的に感じるのは問題提起の解像度が低いという点だった。言葉を明確に定義せぬまま議論したり、分野間の差異を無視して同一視してみたりあるいは勝手に分類してみたり。

・突飛な概念を思いつくことは誰でもできます。操作実験など主観を排除できると考えられている方法で検証しましょう。検証できないものは空想以上のものになり得ないので、問う意味がありません。

 

哲学分の税金10年分でサイゼ1回行けますか?